裁量の大きい環境を活かして。
技術者としてさらなる高みを執行役員/医療PF CTO - 宍戸

当時、30歳。エンジニアの宍戸は、大企業で積み上げたキャリアを土台に、次なる挑戦の場としてメドレーを選んだ。現在は、クラウド電子カルテ『CLINICSカルテ』の開発チームを率いている。

恵まれた環境に身を置いていたからこそ、不安を感じていたという宍戸。変化を生き抜くエンジニアであり続けるために、彼がメドレーに求めたものを聞いた。

技術力の土台を作った9年間

宍戸は新卒から9年間、サイバーエージェントでサーバーサイドエンジニアとして活躍していた。新サービスの立ち上げから既存サービスの機能追加、基盤システム開発など、多くの事業に関わった。

中でも、急成長の途上にあったアメーバブログの開発経験は、宍戸に多くを残したという。

「入社後すぐに配属されたのが、アメーバブログの部署でした。当時はサービスの伸び盛りで、サーバーサイドは日々トラブルとの戦いでした。はじめは、先輩の姿を見て覚える状態でしたが、徐々に経験を積み、最終的にはサービスの運用全体を任せてもらえるように。安定化に向けた施策を打ちつつ、随時発生するトラブルの勘所をつかむなど、サービスとともにステップアップしていきました」

また、サイバーエージェントを退社する1年前からは、AbemaTVの立ち上げに参画。先例の少ないサービスな上、それまで経験のなかったパブリッククラウドを利用した開発環境に新しい言語など、これまでとは異なる“挑戦”を重ねた期間だった。

「特に苦戦したのは、動画特有の仕様や要件に関わる部分でした。僕はDRM(デジタル著作権管理)と呼ばれる、デジタルコンテンツの違法利用を防ぐ技術の開発担当だったのですが、最初は何から手をつけて良いやら……といった状態。

ライセンスや仕様等に関する膨大な書類を読みこみ、自分たちのプロダクトに適応すべきか、何度も検討を重ねました。複雑さや細かさには度々苦心しましたが、結果的には、新しい技術に触れられただけでなく、『将来的にも必要とされるプロダクトだ』と思える状態で世に出せました」

恵まれた環境に身を置くがゆえの不安

サイバーエージェントは、経験値を積む意味でも挑戦する意味でも、宍戸にとって居心地の良い環境だった。しかし、その心地よさゆえ、とどまり続けることに不安を感じていた。

「どこでも裸一貫で食べていけるような生命力が弱っているのではないかと感じていたんです。この先自分は環境の変化についていけるのか、ここ以外でも働けるのかと、漠然とした不安を抱えていました。同時に、経験を活かして、チャレンジできる環境に飛び込めないかとも考えるようになったんです」

同じ頃、私生活にも変化があった。子供の誕生や、家族や親族の健康問題を経験。「より人の役に立つと実感できる仕事をしたい」と考えた結果、医療へとたどり着いた。

「20代に比べ、医療機関のお世話になることが増えたのは大きな変化でした。医者や病院が必要になる場面は突然訪れることも多い。『もっと便利になったらいいのに』と感じたんです。そうした経験から、医療に関わる仕事に興味を持つようになったんです」

そんな折、宍戸は求人サイト経由で取締役の平山からスカウトメッセージを受け取った。それを機に事業や開発体制について話を聞くと、メドレーの挑戦や組織に興味を持つようになった。

「医療分野の課題解決は、社会的意義だけでなく、自身も含め多くの人々に直接恩恵が還元されやすいと感じたのが、決め手になりました。メドレーには経験豊富なエンジニアや実行力の高い経営陣が揃っている。この会社なら、絶対にやり遂げられると感じたんです」

新規事業を経て、エンジニアチームをリードする存在に

入社後、配属されたのは『CLINICSオンライン診療』の開発チームだ。はじめは知識のキャッチアップと出すべき成果のバランスが取れず苦労の連続だったが、社内の環境が宍戸の成長を後押しした。

「医療領域でプロダクトを作るには、医療や医療現場の理解が欠かせません。当初は新たな技術の獲得以上に、その面で苦労することもありました。幸い、メドレーは社内に医師が複数在籍しているので、業界知識は、彼らからのキャッチアップにかなり助けられましたね。また、成果に対する意識が高い人が多く、自然と『自分もやらなくては』と背筋が伸びる。良い意味での緊張感があり、モチベーションにもつながりました」

技術を磨くことだけでなく、ユーザーからのフィードバックからも医療ITの面白さを感じるようになっていった。

「入社してまだ日が浅い頃、営業担当を通して聞いた、『医療機関がCLINICSをどう使っているか』の事例が今でも印象に残っています。様々な先生方の活用方法には、想像を越える可能性や利点が見え、医療を発展させる一端を担えている実感につながりました」

その後、3ヶ月目からは当時開発中だった『CLINICSオンライン診療』の開発を任せられる。リーダーポジションとして、プロダクトの開発をけん引した。翌年には新たなアプリの開発を手掛けた後、入社2年後には電子カルテのエンジニアチームをリードする存在に。現在は、10名以上のメンバーが宍戸と共に活躍している。

「メドレーは、エンジニアと事業部が一体となって開発を進めるので、事業部との連携や信頼関係の構築も重要です。チームで成果を上げるには、単にコードと向き合うだけではなく、人との向き合いも欠かせなくなる。技術力と関係構築力、硬軟両面を併せ持つことを強く意識しています」

成長環境を存分に活かし、技術者としてさらなる高みを

こうした経験、そしてメドレーという環境の中で、宍戸の技術と向き合う姿勢は大きくアップデートされたと振り返る。

「メドレーでは、一人のエンジニアがひとつのイシューを一気通貫で担当します。そのため、サーバーサイドの知識だけでは太刀打ちはできません。技術に関する経験値は、確実に上がったと思います。Ruby on Railsを利用したアプリケーションの開発経験、フロントエンドやAWSで動くシステムといった幅広い領域を理解して使えるようになったことなど、メドレーでの2年半は技術者としてのレベルを上げてくれたと感じています」

短期間でこれだけの経験を積めたのは、環境要因も大きいと宍戸は考える。一気通貫で担当することはもちろん、メンバーのレベルの高さが成長環境を形作っている。

「他社でテックリードやCTOを担った経験のある人もメドレーには少なくありません。向き合う課題の質量ともにハイレベルですが、それと同じくらい解決のスピードも速いんです。そうした経験豊富なエンジニアに囲まれて気軽に相談できたり、彼らが開催する社内勉強会に参加できたりするので、向上心さえあれば大きく成長できる環境だと思います」

この高い技術力があるからこそ、エンジニアには大きな裁量が与えられている。責任の裏返しであるとは指摘しつつも、裁量はモチベーションや視座の向上にもつながっている。

「特にCLINICSの開発チームは、細かな仕様を決めるポジションを設けず、自らプロダクトの理解を深めた上で要件を整理し、『何のためにこの機能が必要なのか』を考えながら開発を進める体制でした。責任は重大ですが、自分で意思決定をできることにはやりがいも感じますし、必然的に事業目線で物事を見るので、開発との向き合い方もより高度になったように感じています」

環境を存分に活かし、技術者としての生命力を高めてきた宍戸。入社から早2年半以上が経つ今も、医療ITの追求に終わりはない。チームを率いる立場へと成長した今こそが、宍戸のスタートラインでもある。

「電子カルテやオンライン診療システムの開発に携わってしばらく経ちますが、日々医療におけるプロダクト開発の難しさを感じています。技術的な知識だけでは不十分で、法律のガイドラインの背景なども踏まえてプロダクトを設計しなくてはならない。

しかし、だからこそやりがいがあると感じています。メドレーに来て一通りの経験をできたからこそ、これからは、複雑な要件のシステムを一気通貫で設計、構築できるエンジニアを目指して精進したいと思います」

Edit: Kazuyuki Koyama
Text: Shika Fujisaka
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Date: FEB 2020  
本記事の組織名、内容等は取材当時のものです
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